美味しいワインを作る為に、高品質なブドウは不可欠である。
その高品質なブドウを得る為に、栽培家は畑で汗水流し一生懸命働いている。
自然を敬い、摂理に従い、極力負荷をかけず、与えられた恵みを享受することで生まれたワインはきっと心打つものであるだろう。
しかし、現実にそういったワインは決して多く存在しない。
農薬による環境汚染、化学肥料による土壌汚染、水資源の乱用など、世界中のワイン産地で行われる自然への負荷行為。
なぜ、そんなに負荷をかけなければいけないのか??
それは、ブドウ栽培が「農業」だからだ。
目次
農業とは
「農業」とは、人間が農作物を得る為に営む人為的行為であり、人為的生態系である。
主人公としての農作物、主人公と競争関係にある雑草、主人公の天敵にあたる病害虫、そして主人公とは直接の利害関係を持たない様々な生き物が、互いに関係を持ちながら生活する農業生態系で行われる。
本来、自然に存在する生態系とは全く別の、見方によっては全く対照的な存在とも言える。
野に生える花草、森の木々たち、山の植物や山菜
彼らは、誰かに世話されているわけでもなく、農薬や肥料や水を与えられているわけでもなく立派に生長し存在する。
人間が守らないと生存できない農作物、何もせずに生存できる自然。
この大きな違いこそが農業の本質である。
なぜ農業は人の手を必要とするのか??
なぜ農業は外的要因で大きな被害を受けることが多いのだろうか?
その答え探る前にためにはまず植物の本質的生態を理解する必要がある。
植物は光合成により糖をつくる
現在地球上に住むすべての生き物の生存を可能にしているエネルギーは、誰でもよく知っているように、太陽からやってくる電磁波である。
宇宙の中の小さな惑星である地球に届くのは、その膨大なエネルギーの極一部であるが、その天からの恵みによって、この星に生存するすべての生物が生かされている。
太陽から届く可視光線は、生体有機物を生産するために利用できる事実上唯一のエネルギー源である。ところが多くの生き物は、それを直接利用して生体有機物をつくり出すことがほとんど出来ない。この仕事ができるのは緑色の葉をもつ植物「緑色植物」だけであり、緑食植物の細胞内にある小さな粒子「葉緑体」が、光合成によって二酸化炭素と水から糖をつくり出すことができる。
自然界の自然生態系とは?
緑食植物と違って、太陽の光エネルギーを直接利用して生体有機物を合成できない動物や微生物は、それぞれの体をつくるための材料として、また生きていくためのエネルギー源として、その有機物を外界から取り入れなければならない。
緑食植物は、太陽の光エネルギーから有機物を生産できる唯一の生物群であることから「生産者」と呼ばれ、この生産者を唯一の食べ物とする草食動物は「一次消費者」と呼ばれる。
一次消費者である草食動物が二次消費者である肉食動物に襲われ、そして最終的に全ての生き物の体は微生物などの「分解者」によって分解され無機物に戻る過程は、自然界において秩序正しい流れである。
生産者→一次消費者→二次消費者→分解者へと続くこの流れは一般的に「食物連鎖」と呼ばれ、それはエネルギーを背負った有機物が生き物の体という形をとって流れていく状態「有機物の循環システム」であり、自然生態系とは、「エネルギーが秩序正しく流れていくよう、たがいに関係を持ちつつ生活している生き物たちとその環境」と言うことができる。
人間が営む農業生態系とは?
約12000年前、人類が開始した農耕は、自然生態系において行われていた秩序正しいエネルギー循環とは全く異なるものである。
一次消費者である草食動物は、生き物の世界におけるエネルギー流転の担い手として重要な存在であるはずだが、緑食植物を育てて収穫物を得ようとする「農業」の場では、生産者を食べ物とする一次消費者は、人間と利害相反する存在である。
自然生態系である野生の植物が、草食動物や微生物、あるいは植物相互間の干渉によって大きな被害ダメージを受けることは少ないのに対して、農業生態系では、病害虫の大発生による攻撃や雑草の干渉によって大きな被害を受けることが多々ある。
これはなぜなのだろうか?
まず根本的に考えなければいけないのは、この地球には「循環システム」があり、命の源である太陽エネルギーからつくりだされた有機物を含む緑食植物は、多くの一次消費者の食べ物であり、草食動物、病害虫、病原菌などから常にその命を狙われているということである。
農作物が外的な被害を受ける理由
理由1:武装していない農作物
自然生態系において、病害虫などから大きな被害を受けない野生の植物と、人間が育てる農産物には大きな質的違いがある。
第一次消費者に狙われている緑食植物たちは、実は見えないところで自己防衛をして自ら命を守っている。長い進化の歴史のなかで、草食動物や病原菌の攻撃から身を守るために色々な有毒物質をつくりだし武装してきた。
しかし、有毒物質は人間にとって決して好ましいものではなく、人類は多く存在する植物の中から不快な味を避け、優しい味、美味しい味、低毒性で高栄養価なものを探し求めて選抜し、長い年月をかけて農産物の品種改良を行ってきた。
要するに農産物は基本的に低毒性植物または人間の選抜によって自衛のための有毒物質を奪い去られた植物であり、野生の植物と違って自衛力を持たない。そのために人間が育てる農作物は一次消費者の格好の餌食となる。自然界というリングの上、食物連鎖というルールで闘うにはあまりにも弱いのである。
理由2:高い栄養価を持つ農作物
人間が育てる農作物は、野生の植物と比べて栄養価が高いことが多い。
収穫量をあげるために、あるいは市民の味覚的要求を満足させるために、農作物には十分な肥料が与えられている。さらに遮光、防風、保温その他の保護策が加えられている場合もある。このように手厚く育てられた農作物は、野生の植物に比べて高い栄養価を持ち、エネルギーに富んだ栄養物の摂取を目的とする一次消費者にとって見逃せない食べ物となる。収穫を上げるために多く肥料を施された軟弱な農作物は、害虫および微生物を優先的に攻撃されることが多い。さらに栄養価の高い農作物を食べて育った害虫の発育は抜群に良く、死亡率は低く、大繁殖、大量発生のリスクを高める原因ともなる。
理由3:生物多様性の欠如
単一栽培されることの多い農作物が育つ農環境は、生物的多様性に欠けていることが多い。
多様な植物が生えている自然の森や草原には、それぞれを攻撃する無数の草食動物や微生物が生息しており、その中にいる天敵を含む多くの多種多様な生き物たちは、たがいに網の目のように複雑な食物連鎖の関係を持ち、複雑さゆえに彼らの相互関係は極めて安定している。
しかし、農耕地や人工林では、広い面積に栽培されているのは同一種類の植物、それも同じ発育段階の同一品種である。当然そこに生息する動物や微生物も、その農作物を直接栄養源とすることの出来る僅かな種類に限られてしまう。言い換えれば、農作物と病害虫だけが土俵状で正面対決する世界であり、その勝敗は既に決まってしまっている。勝つのは必ず一次消費者であり、負けるのは農作物である。
農業の宿命
人間が営む農業生態系で、農作物が病害虫によって大きな被害を受けるには理由があり、そしてそれは宿命でもある。何もしなければ自然界では勝てない植物を育てるためには、何かしらの保護する、もしくは何かしらの環境整備をしなければならない。
遥か昔の人々は、神頼みをしていたそうだ。その後、多くの耕種的手法、環境管理、天敵生物の利用、物理的手法、化学物質の利用などが考えられ実行されてきた。
そして現在、世界の主流となっているのが「科学農薬」の使用である。
19世紀以降の農業において化学物質は欠かすことできないものになった。
「農業の本質」を理解した上でどのように農を営むべきなのか?
保護を必要とする農作物をどのような手段で保護すべきなのか?
現在主流となっている化学物質を利用しての農作物保護は本当に正しいのだろうか?
どのようにして環境に負荷をかけずに農作物を生産すれば良いのだろうか?
選ぶべき農的手法
ブドウ栽培の現場では実情、大量の化学農薬および化学物質が使用されている。
(世界には稀にそういった化学物質をあまり必要としない恵まれた環境もあれば、人の努力によって最小限の使用もしくは無使用に抑えている場合もあるが)
サステナブルなブドウ栽培を行うためには、農業の本質を理解し、これまで人類が行ってきた農作物保護手法の中から、最善のものを選ぶ必要がある。
特に病害虫の多く生息する「農薬大国」日本でブドウを栽培する場合は、尚更考えなければいけない事柄である。
次回記事で、具体的にどういった手法でサステナブルなブドウ栽培を実行できるのか考えていく。
参考図書(原点からの農薬論:平野千里)