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日本のブドウ栽培までの長い道のり
日本でブドウを食べられる・栽培するに至るまでは、実は長い道のりがあった。
奈良時代〜平安時代〜鎌倉時代
日本でのブドウ栽培の歴史は、諸説があるが、奈良時代(710〜794)から平安時代(794〜1185)にかけてシルクロード経由で伝わった「甲州」が始まりとされている(山梨県勝沼町)。
甲州種は日本で栽培された最も古い品種だ。
甲州種は、強樹勢(きょうじゅせい)で、耐病性、耐虫性が比較的高く、無裂果性(むれっかせい)、強剪定(きょうせんてい)にも比較的耐え、栽培技術の極めて低かった当時でも結実し収穫ができたとされる。
だが当時は栽培技術はもちろん、繁殖に関する知識も充分でなかったことから、鎌倉時代(1198年)に入っても、その植栽本数はわずか13本であった。
約400年後の1601年にいたっても、わずか164本と記録されており、長い年月のわりには植栽本数の増加は少なかった。
江戸時代
江戸時代初期(1615〜1623)、医師の甲斐徳本が「棚づくり」の栽培法を考案、栽培方法の指導をすることよって、ブドウ栽培が盛んになり、1715年には約20haの栽培面積(約3000本)に達した。
こうして江戸時代にブドウ栽培者が増加し、栽培地域も原産地の甲州地域だけでなく大阪、京都、山形にもひろがり、栽培される品種も甲州を主体に3〜4品種あったようである。
(1859年、山梨県では勝沼町を中心にブドウは重要な特産物となり、日本全国でほぼ300haの栽培面積に達していた)
明治時代(1868〜1912)
明治時代以降の栽培管理は、在来品種「甲州」を対象とした生食用ブドウの生産を中心としたものであった。
それにヨーロッパやアメリカからもたらされた数多くの欧米品種、特に欧州種のワイン醸造用ブドウの栽培技術が加わり、仕立て法、整枝、剪定、肥培管理法は多彩を極め、病害虫に関する知識と防除技術とが飛躍的進歩を遂げた時代でもある。
しかし一方で、夏季乾燥し、気温おだやかでブドウ栽培に適した立地条件を持つ欧州からの品種および栽培技術の直輸入は、夏季高温多湿、生育期間中の多降水量で広範な火山灰土壌を擁する日本の立地条件下では適応困難なことが多く、品種本来の特性を発揮するにはいたらずに、病虫害や裂果などの生理障害によって栽培はことごとく失敗。
いくつかの欧米ヴィティス・ラブルスカ種は、日本の気候になじみ栽培に成功した一方で、欧州ビニフェラ種の露地栽培はほとんど不成功に終わった。
さらに、海外からの苗木の導入により新しい病害虫の侵入を余儀なくされ、それまで経験したことのない病害虫のため、産業の根底をくつがえすような大損害をも被った。
特に「うどんこ病」、「フィロキセラ」による大被害については、「ボルドー液」、「免疫性台木」の導入によって克服されるまでの長い期間、欧州種の栽培は難渋を極め、優秀なワイン原料用ブドウを得る事ができなかった。
ヨーロッパなみのワイン産業を夢見た先覚者たちは次々と経営に失敗してゆき、日本に置けるブドウ生産の中心は、再び明治以前と同様の生食用ブドウへと展開されていく。
日本ワインの父・川上善兵衛の躍進
日本ワインの父・川上善兵衛の写真
みなさまは、「日本ワインの父・川上善兵衛」をご存知だろうか?
明治時代、ちょうどこの時期、日本では文明開化を迎えており、1853年のペリー来航、明治維新などを経て、開国への道を歩みだしている。
西欧の文化や社会制度を取り入れて、近代化をはかる国策の中には、食文化の導入も含まれ、これを機に国内ワイン産業が勃興、1870年には日本初の国産ワインも生産されている。(山梨県甲府)
1877年には、民間では最初のワイン醸造所である「大日本山梨葡萄酒会社」(現メルシャン前身)が設立、そして、1890年 “日本ワインの父”である川上善兵衛が、新潟県北方村(上越市)に「岩の原葡萄園」を開いた。
善兵衛は、欧米ワインの品質に近づけるべく、ヨーロッパやアメリカから多数のブドウ苗木を取り寄せ、植樹(350品種以上)、その中から日本の気候風土に適する品種を探す試みを続け、22品種を優良品種として発表。
さらに1922年から品種の交配実験を開始し、1927年、日本独自の品種である「マスカット・ベリーA」(ベリー種×マスカット・ハンブルク種)や「ブラック・クイーン」(ベリー×ゴールデン・クイーン)が誕生した。
善兵衛が交配実験に使用した苗木の数は1万株以上にのぼる。
私財を投じ、品種改良、交配育種に心血を注ぎ、いくつもの優良品種を誕生させ、国産ワイン発展に大きく貢献した。
それが「日本ワインの父」と呼ばれる所以である。
日本でワインが普及するまでの軌跡
「日本ワインの父・川上善兵衛」の躍進の後(1945年終戦後)、国内での「ワイン醸造」と「ブドウ栽培」が復興。
政府がワイン造りの振興に力を入れた山梨県では、その地ですでに栽培されていた日本固有の品種「甲州」からワインが造られ、その後、ワイン造りが発展して行く上で、ヨーロッパとは異なる気候に適応する品種を求めて、交雑、交配による品種の開発も行われた。
昭和中期から後期にかけて、国産ワインの生産は次第に発展し、1964年東京オリンピック、1970年大阪万博をきっかけにワイン需要が増加。
1975年、それまで甘味料を加えた甘口ワインが主流であった日本ワイン史上はじめて、本格ワイン(果実酒)が、その消費量を上回り、ワイン生産は拡大していった。
しかしこの間、1962年の酒税法改正によって干しブドウを使ったワイン醸造が認められ、1970年代にはこの傾向に拍車がかかり、さらに農産物貿易自由化による関税引き下げの影響で、バルクワイン(大容器で輸入される安価ワイン)と濃縮マスト(濃縮ぶどう果汁)の輸入、使用が激増して行く。
輸入されたバルクワインはそのまま瓶詰めされるか、国産ワインと混合して販売される。日本において安価で流通しているテーブルワインは、濃縮マストを希釈して醸造したものか、これにバルクワインを混入させたものである。
これにより、安価な原料をもとに造られる低価格、低品質なワインが市場に多く出回るようになる。
しかし、1980年代、いくつかのワイナリーを中心に、日本のワイン造りにも変化が生まれ始める。それは、ワイン原料である「ブドウ」の品質の重要さへの気づきであり、シャルドネやメルロなどのヨーロッパ系品種の本格的な栽培の始まりである。
日本でワイン造りが始まったのは明治の始めで、その歴史はわずか140年余りだが、ブドウ栽培に根ざしたワイン造りが盛んになり始めたのは1980年代になってから。日本のワイン産業は、今まさに発展の最中にいる。
日本での「ブドウ栽培の歴史」と「ワイン造りの歴史」の密接な関わり
歴史を紐解くことで見えてくるワイン用ブドウ欧州系ビニフェラ種を日本で栽培することの難しさ。
日本でブドウを栽培するのであれば、気候適応可能なラブルスカ種(食用ブドウ)、もしくは交配品種を栽培するのが無難なのかもしれない。
しかし敢えてワイン用ブドウの栽培に挑む理由はただ一つ、それは「良いワイン」を造るには「良い原料」が必要だからだ。
ヨーロッパのブドウ栽培(ワイン造り)の歴史は数千年、それに比べて日本でのブドウ栽培の歴史はわずか数十年しかない。
まだまだ発展する可能性はある。
Vol.4へ続く
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